大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成6年(オ)244号 判決

上告人

中村美樹

右訴訟代理人弁護士

鈴木貞司

山下史生

被上告人

松本功

右訴訟代理人弁護士

中山厳雄

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人鈴木貞司、同山下史生の上告理由について

一  原審の確定した事実関係は、次のとおりである。(1) 平成三年三月一〇日午後四時ころ、北海道虻田郡倶知安町所在のニセコ国際ひらふスキー場において、いずれもスキーで滑降していた上告人と被上告人が接触し、上告人が転倒して負傷する事故(以下「本件事故」という。)が発生した。(2) 本件事故当時、上告人は二六歳の主婦、被上告人は大学生であり、いずれもスキーについては相当の経験を有し、技術は上級であった。(3) 上告人は、第一審判決別紙スキー場地図のリフト終点であるE点から、G点を経て第二リフト脇をN点に向けて、スキー板を平行にそろえて滑降する方法(パラレル)で大きな弧を描きながら滑降し、一方、被上告人は、同地図のF点から、G点を経て第一リフト下の駐車場に向けて、上告人の上方から同人よりも速い速度で、スキー板を平行にそろえて連続して小回りに回転して滑降する方法(ウェーデルン)とパラレルを織り交ぜて、小さな弧を描きながら滑降していた。(4) 本件事故現場は同地図のH点と第二リフトの中間付近であり、上告人は左に大きく弧を描きながら方向転換をして本件事故現場付近へ滑降し、被上告人は右に小さく弧を描いて方向転換をし、上告人と対向するようにして本件事故現場付近へ滑降していたが、被上告人は、上告人が進路前方右側に現れるまで上告人に気づかなかったため、衝突を回避することができず、本件事故が発生したものである。(5) 本件事故現場は急斜面ではなく、当時は雪が降っていたが、下方を見通すことはできた。

二  本件訴訟は、上告人が被上告人に対し、被上告人の過失を主張して本件事故による損害賠償を請求するものであるところ、原審は、前記事実関係の下において、被上告人が本件事故発生前の時点で下方を滑降している上告人を発見し得た可能性は否定できないが、被上告人が他の滑降者に危険が及ぶことを承知しながら暴走し又は危険な滑降をしていたとは認められないから、被上告人には本件事故の発生につき過失はなかったと判断し、上告人の請求を棄却すべきものとした。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

スキー場において上方から滑降する者は、前方を注視し、下方を滑降している者の動静に注意して、その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負うものというべきところ、前記事実によれば、本件事故現場は急斜面ではなく、本件事故当時、下方を見通すことができたというのであるから、被上告人は、上告人との接触を避けるための措置を採り得る時間的余裕をもって、下方を滑降している上告人を発見することができ、本件事故を回避することができたというべきである。被上告人には前記注意義務を怠った過失があり、上告人が本件事故により被った損害を賠償する責任がある。

そうすると、被上告人の過失を否定した原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が原判決の結論に影響することは明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、上告人の被った損害の額及び被上告人の主張する過失相殺の抗弁につき更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根岸重治 裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也 裁判官河合伸一)

上告代理人鈴木貞司、同山下史生の上告理由

第一 原判決の要旨

原判決は、「……スキー場での滑走には相当の危険を伴うものである。したがって、スキー滑走を行う者にはそれぞれにそのような危険を回避する注意義務がある。その一方、スキーは、レクレーションにとどまらず、スポーツとしての側面が大きく、特に高度の技術を駆使する上級者の滑走についてはこの点が顕著であるから、滑走に際してはそのような危険が常に随伴することを承知の上で滑走しているものと解すべきである。とすれば、スキーの滑走がルールや、当該スキー場の規則に違反せず、一般的に認知されているマナーに従ったものであるならば、他の滑走中に傷害を与えるようなことがあっても、それは原則として注意義務の違反と目すべきものではなく、また行為に違法性がないと解するのが相当である。」と判示している。

しかし、右法律上の判断は、民法七〇九条についての法令の解釈、適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

以下、その理由を述べる。

第二 理由

一 原判決の違法性論

原判決のスキー事故における違法性論を要約すると次のようになる

① スキーは、相当の危険を伴い、スキーヤーは、危険を回避する注意義務がある。

② 他方、スキーは、レクレーションにとどまらずスポーツとしての側面が大きく、上級者にとってはこの点が顕著である

③ 上級者は、危険が常に随伴することを承知の上で滑走している

④ したがって、上級者は、ルール、スキー場の規則、一般的に認知されているマナーに従っていれば、滑走中に他のスキーヤーに傷害を与えても、注意義務違反はなく、違法性はない。

二 スキーの危険性(スポーツとしての側面)

1 原判決は、スキーの上級者にとってスキーは、スポーツとしての側面が大きく、それゆえ滑走の際、危険を随伴することを承知していると論じている

2 しかし、スキー競技には、滑降、大回転、回転、ジャンプ、クロスカントリー等があるが、いずれも一人で滑走するものであり、競技中に他の滑走者と接触することは通常あり得ない。

右スキー競技において考えられる危険としては、滑走者が転倒したりジャンプにおいてバランスを崩すなど、滑走者自身のスキーの操作ミスによって自らが負傷する場合のみである。

このようにスキーは、他者との接触を全く予定していないのであって、スキーの危険性を『スポーツであること』から考えるのは誤りである。

むしろ、スキーの危険性は、スキー場の状況と用具の発達から考えるべきである。

3 スキー場の状況―上級者と初級者の混在

すなわち、約三〇年くらい前まではスキー場には、リフトも数少なく、スキーを担いで山を登り、登り切ったところから滑り出すことが主流であった。

しかし、二〇年位前からリフト・ゴンドラが発達し、短時間で、山の上部に到達することが可能となった。

それに伴い、上級者用のコースから初級者用のコースまでさまざまなコースが造られるとともに、スキーの板を初めて履いた初級者でも、リフト・ゴンドラに乗って簡単に山頂に行くことが出来るようになった。

また、国民全体が裕福になり、スキー人口が増大し、スキー場に多くの人が訪れるようになった。

そして、上級者コース、初級者コースの区別は一応されていても、どのコースを滑るかは滑走者まかせであり、スキー場には、初級者から上級者まで混在し、接触事故の危険性が増大した。

4 用具の高度の発達

二、三〇年前までは、スキー板にエッヂがないものも多く、スキー靴もゴム長靴で代用し、金具(バインディング)も革製のものなどが存在した

しかし、現代では、スキー板は、種々な素材から作られたエッヂ付きであり、靴も固いプラスチック製で、金具も金属製の丈夫なもので出来ている。

それに加え、先端が尖ったストックを常時携帯している。

スキーウエアーも風の抵抗をさけ、高速で滑走できるように工夫されている。

最新のスキー用具、ウエアーを身につけたスキーヤーは、あたかも宇宙飛行士のような姿である。

そのようなスキーヤー同士が衝突すれば、堅いスキー用具、スピードが原因となって大事故になる可能性が極めて高いのである。

5 まとめ

以上、スキーの危険性は、スキー場に上級者と初級者が混在すること及び用具の発達に求めるべきであり、『スポーツ』であることから単純に危険であると論じる原判決は誤りである。

三 危険の承諾と注意義務の軽減

1 原判決は、スキーの上級者は、危険が常に随伴することを承知しており、それゆえ注意義務が軽減されるかの如き論法をとっている。

2 しかし、『危険を随伴することを承知』ということの意味が『危険な結果が生じることを承諾』しているということであれば、誤りである。それは次の理由による。

(一) 競技者同士の接触を全く予定していないこと

右2でも述べたようにスキーは、本来他の競技者と接触することを全く予定していないのであり、この点、サッカー、ラグビー等の球技や柔道、ボクシング、相撲等の格闘技のように、そのルール上他の競技者と接触、衝突して行うことが予定されている競技やボールという媒介を通して競技者同士が接触する野球、テニス等の競技とも全く事情が異なるのである。

(二) 見知らぬ者同士であること

また、スキー場にいるスキーヤー達は、見知らぬ者同士・赤の他人であり、スキー場で接近し合う時間もわずか数秒しかないのである。

この点、サッカー、ラグビー、柔道、ボクシング、相撲、野球、テニス等、右で指摘した競技は全て互いに同じ競技に参加していることを認識し合い、時間的にも数十分から数時間競技をともにしているのである。

(三) 以上、競技者同士全く接触を予定していないこと、スキー場のスキーヤー同士は見知らぬ者同士であること、接近し接触する可能性はわずか数秒足らずであることから、競技者同士が危険な結果を承諾しているとは到底言えないのである。

四 注意義務の程度―上級者の注意義務

1(一) 原判決は、上級者は注意義務は軽減されて、ルール、スキー場の規則、一般的に認知されているマナーのみに従へば免責されるかのようである

(二) そして、初級者・中級者は、上級者よりも注意義務の程度が高く、「ルール、スキー場の規則、一般的に認知されているマナー」以外にも遵守すべき注意義務が課せられるかの如きである。

しかし、他に遵守すべき注意義務があるかどうか判然としない。

(三) また、「ルール、スキー場の規則、一般的に認知されているマナー」を遵守していれば責任を問われないことは当然のことであり、原判決は当然のことを言ったに過ぎないとも考えられる。

そうして見ると、原判決は、上級者の注意義務を軽減したのではないとも考えられる。

(四) このようにはっきりしないのは、『ルール』が何をさすのか、『一般的に認知されているマナー』とは何か、その内容がはっきりしないからである。

内容如何によって、注意義務は大きく変わるのである。

(五) 原判決は、漠然とした基準を持ち出し、そうした漠然とした基準にあてはめをしているのであって、法の解釈適用を誤っていると言うしかない。

2(一) 原判決が認定しているように、上級者が滑走中に他の上級者と接触する可能性がある場合を考えると、その注意義務は、初級者・中級者と比較して、高度な注意義務を課すべきである。

なぜなら、上級者は、初級者・中級者より、余裕をもって滑走できることから、滑走中の視野も広く、接触の予見可能性も高いからであり、また高度な技術を駆使して、危険な結果を容易に回避できるからである

したがって、スキー場において、上級者は、最低限『他の滑走者に接触しないよう最大限の注意を払う義務』があるというべきである。

スキーと安全(甲一〇号証の2、三二〜三三頁)には、スキーヤーの基本的注意義務として、「自分の身は自分で守る。他のスキーヤーには絶対にケガをさせない」ということが基本的な義務として記載されているが、上級者には、このような義務を厳格に課すべきなのである。

(二) 本件において、被上告人は、原判決が認定しているように、「上方から上告人を発見しえた可能性」がある。

上方のスキーヤーが下方のスキーヤーに注意を払い、接触のないように滑走すべきことは、上級者にとってはあたりまえのことである。

被上告人は、技術を駆使して衝突を回避すべき義務があったのにかかわらず回避行動をとらなかったため上告人に衝突したのである。

したがって、被上告人にはかかる注意義務違反が認められる。

第三 若干の実質論

右に述べたように、スキー事故の場合、他のスポーツと違い、全く身も知らない者同士の事故であること、また、コースの難易度にかかわらず上級者から初級者まで混在し、それを規制する法規が存在しないこと、同様なスキー事故が急増している現状を考えるならば、原判決の様な違法性阻却理論で被害者に泣き寝入りを強いては、スキー場は無法地帯となり、司法に対する社会の信頼は著しく失墜してしまう危険性がある。

裁判所は、判例の積み重ねによって、スキー事故における過失の基準を形成して行くべきであり、それが国民に対する司法の努めでもある。

第四 以上のとおりであり、原判決には、民法七〇九条についての法解釈、適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

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